嗚呼長尾部隊長

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Published 2022-02-12
盧溝橋事件をきっかけとして始まった支那事変
日本軍は盧溝橋の近くにある良郷、長辛店などを制圧すると平頂山の支那軍にも攻撃をおこなった

昭和12年8月22日午後、長尾部隊は支那軍を撃退して平頂山を占拠
その夜(23日午前二時ごろ)、支那軍の夜襲により長尾一彦中尉が戦死

この戦況を報告するために、負傷して盲目となった伍長が、左手と右足に重傷を受けて歩けない一等兵を背負って伝令となり友軍の陣地に向かった

血染の伝令
   • 血染の伝令  
(まあ、もちろんこの二人以外にも何人もの兵士が友軍に戦況を報告をしています)

日本軍は「長尾中尉の弔い合戦だ!」と叫びながら反撃を開始、8月25日の夕方には平頂山に再び日章旗が翻った

タイトルの長尾一彦中尉(戦死後、大尉に昇進)は陸士四十四期、山口県の周防大島(屋代島)の出身、享年28
剣道二段の腕前で、前年秋に結婚したばかりだったそうです

作詞の藤田傳雄は当時の山口県立大島商船学校(現在の大島商船高等専門学校)の教諭
地元の勇士を顕彰したかったんだろうなぁ

歌詞の最後に出てくる「嶽山(だけさん)」は周防大島にある山で、その美しさから「大島富士」とも呼ばれている

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