天北峠に挑む9600 昭和47年制作

1,311,529
0
Published 2019-02-20
昭和47年(1972年)制作
この作品は、昭和10年の名寄本線を舞台として、現地ほか専用線で実機を使って撮影されたドラマである。

All Comments (21)
  • @user-rq8cx4hy3o
    鉄道で働いて20年になります。もちろん入った頃にはSLも通票も過去の物、でも当時の私に運転士の仕事を教えてくれた大先輩には、長万部や稚内からいらした機関士あがりの方々がいました。とても恐くてとても強くて、でもとても頼りになりました。今その先輩方もリタイアされ、鉄道の仕事の「勘」や「経験」を教えるのが私たちになっています。私たちの世代は蹴られて怒鳴られて教えられるのが当たり前、でも今ではそれはハラスメント。こういう記録映像がある意味、鉄道の安全や鉄道を支える一員であるという姿勢、精神の教育なのでしょうか、マニュアルにはないことを教える一助となっております。勾配の引き出しは電機でも大変なんです。 それにしても、稚内機関区で天北線も運転していた先輩、「イクラは食べられないんだー」って仰っていたのを思い出しました(笑)名産なのにー、えーっ!?って笑っていた若い頃の自分を思い出します。
  • @thunder5239
    稚内で生まれ育ち今は東京暮らしです。天北線を知る世代です。 親の転勤事情で勇知駅そばに数年住み。猛吹雪のある夜、南稚内から勇知へ父と帰る2両編成ディーゼル車。もう進めなく、車掌さんが「いつ動けるか分からない」、と。 数時間後に救援車が。運転席真後ろの場所に走って見たのは、1灯ライトと吹き上がる煙。 利尻山がきれいに見える場所での思い出です。名寄から来てくれたんでしょうか。
  • @sample45-45
    圧縮引き出しも手加減一つだ! そのあと耳を澄まして連結部の音を聞いてタイミングを計ってるのには鳥肌物のシーンです。
  • @4wdvista140
    この有名な映画は、蒸気機関車映画のなかの最高傑作だと思います。 自分は、天北線の曲渕小石間の峠は距離長く、撮影をあきらめた記憶があり、音威子府で96を見ながら駅そばを食べた想い出は、C55やD51と共に今でも昨日のような想い出になりました。 名寄発の早朝の上りD51貨物列車も良かったです。宗谷本線、天北線は夢で会う世界にねりました。
  • @lennonist9746
    連結器同士の接触音をカウントしてタイミングを料ってからいざ加速という職人技がカッコいい! 警戒の汽笛を聴いて何処からともなく現れ、そして危機を救って後姿で去っていく、金ボタン外套の戦前国鉄マン、まるでヒーローそのものだな。釜で焼いた餅を受け取る演出も粋だなあ。
  • 最初の運転手の人も熟練なんだろうけど、更にベテランが出てくるところがいい
  • 名機キューロクと、それを知り尽くした機関士の職人技は、本当に素晴らしいです。ただただ感謝。
  • @user-cr9ob6ub6v
    各テレビ局とかもくだらねぇバラエティに注力するんじゃ無くてこういう文化的価値がある資料を資料室から引っ張り出して公開するような努力をしてくれよ!頼むよ!たくさん持ってるだろ!?
  • @hammer99kg
    「こんくらいなら登れるべぇ やってみようや」 かっこいい!
  • @niwatti
    梶田さんカッコ良すぎるし、最後に温めてた餅?を渡す伏線が粋だね。
  • @user-md9ob6or9g
    電車はもとい列車や機関車のことは詳しくないが、なんと言うかその…かっこいい、の一言に尽きる。 近年の日本人には持ち合わせていない、真の日本人らしさと男らしさがある。
  • @cocoro8376
    いつ拝見させてもらっても感動する映像です。いったんバックして連結機を緩め、数センチの 遊びを利用して1台づつ引き出す、圧縮引き出し法。連結器と機関士らの顔が映される場面はいいですね。職人技を垣間見ることが出来る貴重な映像。古き良き時代を思い出すために、いつまでも観ていたいです。ありがとうございます。
  • @user-wd7xl7di7e
    1975年まで名寄に在住していました。 当時名寄駅は、宗谷本線・名寄本線・深名線が交差する鉄道の要衝で、同じ上川管内の音威子府からは東廻りの天北線も存在し、名寄は「鉄道城下町」の体を成す賑やかな街でした。小学校時代、機関区で写生会の作品を描いた記憶もあり、くろがねの蒸気機関車が車庫に並ぶ姿は圧巻でした。とても懐かしい映像に感激しました。有難うございます。 因みに天北峠は、天北線に位置したのではなく名寄本線に存在した難所ですね。 冬はヒグマも冬眠するので、立ち往生でも少しだけ安心だったかもしれませんね。
  • @yosiyanono8132
    機関車の事は分からないが、私は北海道11年生まれ今は京都在住子供の頃名寄本線にも乗りました。峠は歩くが如しでした。叔父さんが鉄道員でした。作品を観賞していて目頭が熱くなりました。
  • @nabechannell
    言葉台詞がなくとも、リアルさが伝わる映像って、今の時代には無いよね。
  • @futonlove6347
    今はもうアラサーだけど子供の頃祖父の家で繰り返し見てた大好きな映画。今も祖父の家にある。YouTubeにあって感動した。今更だけどインターネットはすごいな、いつでもどこでも見られる
  • @user-hc9fi7pd5l
    私も昔梅小路機関区で機関士をしておりましたが、こういう昔の映像を見ると自分の若かりし頃を思い出しますね。
  • @user-us1jp7rv2q
    梶田さん何者だ!このくらいなら昇べ!経験を積んだ男はかっこいいっす!
  • @akiran314
    50年前(当時高校生)の話だが、中学生の弟と2人で北海道へ蒸気機関車の写真を撮りに行った。名寄本線は一の橋~上興部間11kmの丁度中間点が天北峠の頂上で、どちらからくる列車も25‰という上り急勾配のため煙を吐いてくれる絶好のポイントだったが、車のない者にとっては5.5kmを歩かなければならなかった。一度のみならず撮影行を快諾してくれて資金(予算1人2万円)を出してくれた両親には感謝してもしきれない。