日本人にそっくり?キルギス人との繋がり

Published 2024-04-11
「日本人にそっくり?キルギス人との繋がり」では、地理的に遠く離れた日本とキルギスの間に存在する深い繋がりを探ります。遺伝子の研究から歴史的なエピソード、文化的共鳴、言語の類似性まで、多岐にわたる証拠をもとに、両国民が共有する驚くべき類似点を明らかにします。このシリーズは、異なる文化間の相互理解と友好の重要性を示し、日本人とキルギス人が築いてきた、時を超えた絆の物語を紡ぎます。

#日本人 #キルギス人 #日本 #キルギス #日本人とキルギス人 #日本とキルギス #歴史 #世界史
[動画内音源]VOICEVOX:四国めたん

All Comments (16)
  • @aki-lz1jg
    確かに日本人とキルギス人似ていますよねチベット人も似ている人が多いように思います。近場の中国人韓国人よりも似ているって不思議ですよね。
  • @MAX-yq5bq
    実は隣のカザフスタン、チベット、中国の羌族(チャン族)も日本人にそっくりな人がいる。特に女性が多い。服装を変えれば、絶対に日本人に見えると思う。DNAも日本人と類似点があるそうだ。個人的にはこの人たちの一部が約2000年前、シルクロードを通って、日本にやってきた渡来人なのではないかと考えている。
  • @shimo3da4
    民族移動に関しては、氷期と短期的な寒冷期と火山の巨大噴火の時期との関連性が最も重要なのです。 氷期について少しだけ触れられていますが、アジアではカルデラを形成した日本の巨大噴火による移動が一番重要なのです。 その噴火で、当時の日本人は東南アジアや大陸南東部(長江以南)に逃げのびたのです。 また、白頭山の大噴火によっても大陸北東部や朝鮮半島にも数千年間居住不可脳だったのです。 その年代を考察すれば、民族と文明の移動経緯が分かります。 決定的なことは、前期縄文時代に大陸北東や半島からの人や文明の流入は無かった(農耕不可でその地の人口が非常に少なかった)ということであり、逆に日本人が大陸南部に流出したのです。
  • @kizukuridogu
    大陸と陸続きになっていた時代があるだろうから、日本から移り住んだ事も考えられるだろう… つまり、どっちからどっちとは考えにくい…
  • @00kumakuma
    最終氷河期大陸内陸部は生存に適さない環境だったが、比較的温暖な海沿いに人類は広がった、日本列島は生存に適していたが鬼海カルデラの破局噴火で西日本は壊滅 かなりの割合で大陸側に非難したと思われるが気温が上昇すると西側から次々と新たに人類がシナ大陸に到着して絶滅戦争を伴う大戦乱になってキルギスやチベット方面に逃げた人も多かったのかもしれない。
  • @user-lg5ld5ox5v
    モスクワのホテルやスーパー、みやげ物店で多くのキルギス人の女のコに接客してもらったが、風貌は全くの日本人で、日本人留学生(ウクライナ戦争前は、モスクワ言語大学への留学生が多かった)がアルバイトしてるのか?と思ったくらいでした。 最初は日本人留学生と思い日本語で話し掛けてしまい→”キルギスタン”と返答されました。
  • @user-em6zd2hk3m
    私は日本から大陸に向かって行ったと考えます!
  • CやKに交流用資金を使うよりこういう国にお金を使っていただきたい(^_^)
  • @DEIMOSHIARAK
    東アジアはモンゴルに支配された地域とそうでない地域に分かれているそうです。
  • @user-hj4oc1om4q
    😄それではキルギスと日本合体してキルギス日本国とするか😅キルギスってどこにあるのか調べてみます
  • @masy8525
    元々縄文人が鬼界カルデラ噴火の時に世界中に散らばってまた帰ってきたからだよ
  • @user-ly2ml1tg2z
    その通りです、京都周辺辺りに付きました、そこから全国各地です。
  • キルギス人とは関係ないかも知れませんが、昔ハンガリーに滞在していた時に地元の多くのハンガリー人から日本人とハンガリー人は兄弟だと言われた。ハンガリー人の間ではハンガリー人と日本人は元々同じ民族で西に住んだのがハンガリー人で東に行ったのが日本人だということで実際ハンガリー語と日本語は同じ言語圏になるそうです。実際日本人にそっくりなハンガリー人を見ましたしハンガリー人に親日家が多かったのも感覚的に日本人とハンガリー人は同じ先祖を持つ民族なのかなと思えました。
  • @user-nz4lw4mm4b
    今のキリギス辺りを拠点としていた西突厥のハーン・タルドウは大勢の配下を連れて中国の隋の煬帝と戦ったり和したりを繰り返し東方へ移動し、西暦600年丁度に日本列島に上陸します。彼は聖徳太子と呼ばれているが、聖徳大王である。それまでの大王(天皇と後に公称)は全て外来王であり聖徳太子以降は国内の天皇が継承する時代に入る。